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アラブ首長国連邦の首相で副大統領、およびドバイの首長であるシェイク・モハメ ドによって設立されたダーレーは、世界的に展開している競走馬の生産組織です。 現在、6カ国で種牡馬を繋養し、イギリス・ニューマーケットにある、競馬の本拠地 として知られるダルハムホール・スタッドを本部としています。

サラブレッドの歴史をたどってみると、戦争、長い航海、そしてパリでの幸運なる発見と深く関係していることがわかります。すべては17世紀にさかのぼり、わずか3頭という優れたサラブレッドから歴史が始まったのです。

サラブレッドの三大始祖と呼ばれる3頭の牡馬から、イギリスのサラブレッドが誕生し、現在におけるすべての競走馬はこの3頭を父系祖先としています。

3頭の中で最古のサラブレッドは、バイアリータークです。バイアリー大尉という軍人が1686年にブダの戦いでこの馬を手に入れたことが始まりです。このトルコのサラブレッドは、10年間バイアリー大尉の軍馬となって仕えました。その後、結婚したばかりの次の馬主と共に英国のヨークシャーに移り住み、その地からこの伝説の馬の王朝が始まりました。

一方、1704年イギリスの貿易商でアン女王時代の領事であった、トーマス•ダーレーが中東での最初の兵器ビジネスとして馬とライフル輸送を交換という形で、シリアのアレッポにてダーレーアラビアンを購入しました。馬はその後、英国アルドビーパークにあるダーレー家が所有する牧場に送られ、ダーレーアラビアンとして輝かしいレース伝説を生み出しました。

そして1706年から1719年までの間、種牡馬として活躍し、最後はトーマス•ダーレーの義兄弟ジョン•ブリュースター•ダーレーが所有者の時に、30歳という長寿を全うし亡くなりました。このダーレーアラビアンが、サラブレッドを作りあげた種牡馬の中で最も遺伝的に優勢だと認められています。

現存している競走馬のほとんどが、ダーレーアラビアンと繋がる数百もの子孫の交配でつくり出されており、95%の現代のサラブレッドのY染色体は、このダーレーアラビアンに辿りつくことができます。

こうしてダーレーアラビアンがはじめての繋養シーズンを迎えてから約280年後、シェイク•モハメドが、アラブ世界からの最高の輸出品の一つであるこの種牡馬に敬意を表し、所有する生産育成組織にその名をつけました。

さて、三大始祖の中の3頭目の競走馬は、ゴドルフィンアラビアンです。1724年にイエメンで生まれ、チュニスの皇帝よりフランスのルイ14世に贈られました。しかしこの新しい所有者はこの馬を大事にせず、パリの町で荷車を引いているところを見つけた英国人のエドワード•コークによって買い取られイギリスに渡りました。エドワード•コークの死後は、ゴドルフィン伯がこの馬の所有者となりました。

The Darley Arabian by John Wootton

Godolphin Arabian (by D Quiqley c.1750/60)

© Courtesy of the National Horseracing Museum, Newmarket

A detail from Fathers of the Turf by John Beer which features the Byerley Turk

© Courtesy of the National Horseracing Museum, Newmarket

元々、この小柄な種牡馬は当時の大柄なヨーロッパの馬に劣ると見られていましたが、いったん種付けをしてみると、並外れて早く走る産駒を出し、生涯多くの産駒を残しました

こうしてゴドルフィンアラビアンの輝かしい経歴は始まり、ゴドルフィン伯の秘蔵の種牡馬として生涯を過ごし、優れたイギリスの牝馬たちと種付けが行われました。

現在ゴドルフィンアラビアンは英国ケンブリッジ州のワンドルベリーパークに眠っており、公園を訪れる人々は古い建物内の通路途中に墓碑を見る事が出来ます。

そしておよそ300年後、この種牡馬の名前はシェイク•モハメドの名高いレーシングステーブルへのインスピレーションとなって、新たにその名を轟かせています。

種が蒔かれる

シェイク・モハメド・ビン・ラシッド・アル・マクトゥームは、ドバイ首長シェイク•ラシッドの三男として1949年にドバイで生まれました。

彼は青年時代にイギリスのケンブリッジで修学した際、兄のシェイク•ハムダンと共にニューマーケット競馬場においてロイヤルパレスが勝利した英2000ギニーを観戦しました。

この1967年のイギリスでの初めてのレース観戦が、その後のシェイク•モハメド自身の形成へ大きな影響を与える体験となりました。

この初レース観戦から10年後、シェイク•モハメドはイギリスのブライトン競馬場にて自身の所有馬で初勝利をおさめました。

続いて前年10月に購入した2歳牝馬の駿足で名高いハッタが、シェイク•モハメドの勝負服であるマルーンと白色で初勝利を挙げ、同年の夏、グロリアス•グッドウッドにおいても勝利を飾りました。

生産牧場としての歩み

1981年にシェイク•モハメドは、英国サフォーク州ニューマーケット郊外にある競馬の故郷、ダルハムホール・スタッドを海運王ローレンス•フィリップから購入し、現在のダーレーの国際本部となっています。

この購入には、ある一頭の種牡馬が含まれていました。その年のダービーのヒーローであった シャーガーの父、グレイトネフューです。さらには、オーソーシャープと後に名を付けられた牝馬を身ごもっていた オーソーフェアを含む10頭の牝馬もいました。

オーソーシャープは、1985年にイギリス牝馬三冠を達成した名馬です。これは、サラブレッドの競走馬としては伝説的な成果で、成し遂げた馬は多くいません。

そして、シェイク•モハメドによるアイルランドでの中心拠点は、キルデアの郊外にあるキルダンガン・スタッドです。シェイク•モハメドは、この牧場を1986年に購入しましたが、サラブレッドの歴史に一世紀もの間、深く関わっており、多くの優勝馬を出してきました。

ゴドルフィン設立

1992年にゴドルフィンが設立され、シェイク•モハメドのレーシングステーブルからの初出走馬がドバイにて勝利を収めました。その後も、シェイク•モハメドとマクトゥーム家が所有する最強馬達は次々と、有名なゴドルフィンのロイヤルブルーの勝負服と共にレースに出はじめました。

世界最高レベルのレースをドバイで開催するというシェイク•モハメドの大きな目標は、1996年に総額賞金が世界最高額のドバイワールドカップを初開催することで実現しました。ナド•アルシバ競馬場で開かれたこのレースは、アメリカの傑出したチャンピオン馬、シガーが連勝記録14勝という勝利を飾りました。

次に、2000年にはその名前に暗示された運命を全うするかのごとく、ダルハムホール・スタッドにて繋養された、忘れることのできない稀代の名馬、ドバイミレニアムがドバイワールドカップを制覇しました。

さらにドバイミレニアムは同年イギリスに戻り、ロイヤルアスコット競馬場で開催されたG1レースのプリンスオブウェールズSでも勝利を収めました。その後、故障により競走馬としてのキャリアを終えたため、このレースが最後の出走となりましたが、後に続く子孫たちがこの王朝を今後引き継いでいくことでしょう。

ダーレーのグローバルな発展

ダーレーの競走馬生産育成のための拡大は、その後2001年にも続き、この年、シェイク•モハメドは、米国の有名な愛称ブルーグラス州、ケンタッキー州のジョナベル・ファームを購入しました。

ジョナベルは、有名なブリーダーの1人ジョン•ベル三世によって設立された後、1954年にボウマン•ミル•ロードに移り、現在運営が行われています。

オーストラリアにおけるダーレーの事業は、2003年に元騎手であり著名なブリーダーでもあるヒルトン•コープからニューサウスウェールズにあるケルビンサイド•スタッドを購入したことから始まりました。

この牧場には18 頭もの種牡馬を繋養できる世界最高の施設が整えられています。

ダーレーのオーストラリアにおける競走馬生産育成ビジネスは、その後も更なる発展を続け、2006年にビクトリアに新たにもう一つの繁養場を得ました。歴史あるノースウッドパークは馬と牛の牧場で、さらに12頭の種牡馬を繋養することができます。

また、2002年には競走馬生産育成牧場を日本に設立しました。

さらなる強化

2008年には、サラブレッド産業への功績を認められ、競馬産業界から名誉あるカルティエ賞の功労賞がシェイク・モハメドに授与されました。また同年、米国ケンタッキー州パリスにあるストーナーサイド・ステーブルズもダーレーの牧場の一つに加えられました。

シェイク・モハメドの考案でドバイに設立されたメイダン競馬場は2010年のオープン以来、レース開催を通じて大きな成功を収めてきました。その興奮は毎年、ドバイワールドカップにおいて最高潮に達します。

2014年には、栄光の名馬ドバイミレニアムを父に持ち、今や世界で最も成功を収める種牡馬として知られるドゥバウィが、史上最速で50頭の重賞勝ち馬を送り出すという偉業を成し遂げました。2020年末までにG1勝ち馬44頭、重賞勝ち馬125頭以上、そして200頭近くのステークス勝ち馬を送り出しました。

シェイク・モハメドが国際的に展開する生産ならびに競馬事業を担ってきたダーレーとゴドルフィンは、2016年に経営統合を果たしました。「ダーレー」は、シェイク・モハメドが所有する全てのブラッドストックを管理・運営してきましたが、今後は種牡馬をプロモートする独自のブランドとしてその名を残します。

2018年には、ゴドルフィン勝負服として初となるエプソムダービーの栄冠が、Masarの劇的な勝利によってもたらされました。 本馬は引退後ニューマーケットのダルハムホールへと戻り、2020年より種牡馬として活躍しています。

2021年現在、世界中で60頭以上のダーレー種牡馬を繋養しています。